<写真を撮る根拠>1
カメラを手にして、写真を撮る。
この撮る、シャッターを押す、という行為の意味を問う。
現代社会のなかで、自分を表現するツールは多々あります。
写真を撮るということは、先験的に自分表現のための道具である。
このように認めて、じゃあ、何のために写真を撮るの?、と問うわけです。
これは撮る目的であって、いろいろな目的があります。
なにより、記録しておくという暗黙裡の了解があって、家族の記録。
旅行に行った時の記録、友だちと一緒に会食した記録。
やがて記録は、記憶をつくっていく根拠となって、沈殿していきます。
そういった目的を、羅列していくと、おおむね記録のためという根拠がでてきます。
それじゃ、記録することが、写真を撮る根拠の全てかというと、どうもそうではない。
営業写真とか広告写真とかを、目的とする行為は、横に置いておいて、です。
クライアントがない、自分のために、撮る写真、これの根拠です。
カメラを持って、シャッターを押したくなって、押してしまう。
その行動を行わせる根拠、<わたし>がシャッター切る根拠。
いよいよ、この論は、迷宮入りしていきそうな気配を感じるけれど。
つまり、現代の、現在の写真を撮る根拠を探るには、ここからしかない。
このように感じていて、想いを言葉にして、文字にしていきたいと思うのです。

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写真は<神の化身> 2013.12.7